婚活市場から退場しました

32歳になりました。

毎年こうしてブログを更新していくことでしか自分の年齢がわからなくなってきました。それはつまり年齢を最も必要としない世代に入ったということでしょうか。

最も年齢を気にするのは相も変わらず婚活市場ということになりますが、自分も定期的に色々な女性とお会いしながら会うたびに悲しくなります。今後のパートナーを見つけるというよりは「年齢に追われている人たち」が「逃げ場」を求めているようなそんな雰囲気を感じ取ってしまいます。現代社会が便利すぎて互いを補い合うような必要がないのもそんな雰囲気の原因かもしれません。結局長続きしているのがいわゆる適齢期前の人で、その人といる時が一番罪悪感というのを感じないですみます。

たかだか異性と会うというだけで、そんな感情になるのは妙な規律を感じるからでしょうか。ちゃんと1人の方としっかり向き合って付き合いを深めていくというのはそれはそれで素敵なことだと思いますが、いわゆる「年齢に追われている人」がそれをすると自ら「焦り」の原因を作っているように見えます。複数の人と付き合いながら、最も長く続いた人と最後まで行けばいいと思っていますがなかなか女性側にそう話してもあまり首を縦に振りません。年齢を重ねていくことの強みは互いを許せるようになっていくことだと思いますが、未だに私の周辺的な社会的評価は「クソ男」のままのようです。

年齢から追われるのが嫌というのが、「お前は男だからなんとでもなる」と言われそうですが、男でも35才というのが区切りになるんだなと「クリオス」のサイトを見ていて感じさせられました。クリオスはデンマークにある世界最大の精子バンクで、登録すれば自分の精子が各国で購入した人に届けられます。この価格は「精子の運動能」に応じて決定されます。どこまで信憑性があるかわかりませんが、どうやら精子の運動能は35才を目安に落ちていくようで、私ももし相手が35才まで見つからなければここに登録して元気なやつを保存しようかなと思います。

精子を提供する際に、もし自分のプロフィールを公開すれば、自分から会いに行くことはできませんが、その生まれた子供が望めば父親に会いに来ることが可能です。子育てが出来る訳ではないですが、あまり贅沢言ってても仕方ありません。子供が欲しいな思っている私には良い制度です。そして50代半ばぐらいである日「p,padre…」とか言われて「おや、初めて会った感じがしないな」とか言いながら感動の初対面みたいなことをするのも良い人生の楽しみかもしれません。おそらく4-5人ぐらいに提供されれば1人ぐらいは会いに来てくれるんじゃないかなと思っていますし、中学生の頃に「お前はイタリアに行けばモテるかもよ」と言われた気がします。世界のどこかに自分(の精子)を求めてくれる人がいるっていうのもなかなか浪漫を感じてしまいます。

こうして自分の終着点を決めてしまうと、もう婚活市場にいなくても良いなと思ったのであらゆるものを退会しました(と言ってもマッチングアプリですが)。ちょろちょろっとやっただけではありますが、自分の職業的には有利にはなることが多いし、実際に出会いを提供してくれるのですが性格的に合っていないことが致命的です。

あまり比較することではありませんが、新しい女性と華やかな場所で食事しながらお話することより、真夜中の誰もいなくなった職場で悪性黒色腫の特徴などを調べる方が楽しいし落ち着きます。おそらく長く続く出会いがあるとすればその延長にいるんじゃないかなと思っていますし、出会わなければクリオスでOKです。

そう本心から思えるようになっただけ婚活市場に身を置いた価値は合ったかなと思います。ちなみに「結婚出来ない男」の続編が今年度秋に放送されますね。53才っていう設定ですが、ある日知らない子供が来て「お、お父さん」みたいな場面があってほしいですがどうなるか楽しみです。Tverでチェックしようと思います。それではまた。