いつ人は意思を失うのだろうか

2019年が終わります。

そしてもうすぐ2020年代が始まろうとしています。私も3年近く住んだ築地の病院を離れて1月から次の病院の近くの上野に住むことにしました。自分でも意外でしたが初めて部屋を借りるという作業をしました。敷金礼金仲介料というしょうもないシステムの由来を調べながら賃貸の不動産業がこのITバブルも過ぎたこの時代に存在できていることを訝しんだりしました。32才にもなったというのに他の人がとっくに思っていたであろうことをよく考えたりします。

思えば東京に来てから初めてのことの連続でした。今している放射線治療も初めてのことでしたし、病院に文字通り住むことも初めてでした(部屋は院長室の斜め上でしたし、夜中も土日も病院にいるので同僚からは病院の座敷童子と呼ばれる始末でした)。銀座や築地市場をくまなく歩くことも初めてでしたし、近くのイベントに行けば自分の好きなアーティストや経営者と(短い間ですが)喋ることも普通にできるものだなと感動しました。

実際に入ってみることで自分の中にあった考えもただの思い込みだったなと思うことも多くありました。例えば今自分がいるところも日本をリードする施設で間違いないですが、その内実は慢性的な人手不足や非効率な運営が平然と行われていたり、銀座は煌びやかな建物が並ぶスーパーシティかと思いきや、夜は普通に静まる人間の営む街であるのだなと思ったり、この会社の理念はとても良いなと思っても利益は全然別の部門から出ていたり、東京に来ると華やかな無機物であっても極めて人間的な要素でできているものなんだなと感じます。

さて、私はというと今も元気に生きていますが実は東京に来てから失敗の連続でした。上の先生に声を掛けられて一緒に事業を起こそうとしたり、自分で新生のプラットフォームにコメントを書いたり医療記事を書きながら世の中に良い影響を与えようとしたり、自分でアイデアを出したもので各省庁の協力を仰ぎながら形にしていこうとしたり、自分でクリニックを開こうとしたりいずれもただ足掻いただけで終わってしまいました。中には億単位の出資の話もありましたが、結局は私の力不足で良い方向にまとめることが出来ませんでした。また貴重な休みをバルセロナvsマドリードのクラシコ に当ててVIP席を予約したのに直前になってまさかのデモが勃発して見れなくなるというすごく悲しい失敗もありました。

それぞれの失敗の理由はあるんですが、一つの大きな理由はメインの職場が重過ぎたというのがあります。言い訳がましく聞こえますが、流石に電話会社の電波もwifiも休憩時間もなくただ忙しなく夜中まで動いて時間が過ぎていくと外部と同時並行でコミュニケーション取れずに齟齬をきたしていくのが明らかでした。やはりコミュニケーションは大事です。(自分の職場の名誉を守っておくと2019年12月から電波もwifiも地下に届くようになり運営もかなり効率的になり夜中まで働くこともなくなりました。なんならかなり負担は軽減されました。ただ私が今の職場を離れると決めたのはその前でした)

中でも私がショックだったことは九大の医学部ではない後輩と一緒に事業を作っていた時のことでした。私のコミュニケーション量が不足していたのは否定できないですが、それでも可能な限り彼に必要な知識を与えたり、データを作ったり、また生活や開発にも支障が出ぬようにと頼む仕事量よりずっと多い金額のお金を渡していました。そういった労力や金銭を与えていたにも関わらず彼は大した仕事もせずに言い訳ばかりを並べて、私はそんな見え透いた彼の姿勢を見ながら(自分でも相変わらず後輩に甘いなと思いながらも)、彼にも事情があるのだと可能な限りエンジンがかかるのを辛抱強くまってはいましたが、やはり長くは続きませんでした。もうだめだなと話をしているときに彼が放った一言が今でも忘れられません。

「自分には意思がない」

これを聞いたときに自分の中にある種の静けさが流れました。
あぁ、この人はただ自分も他人もごまかしながら目先の金が欲しかっただけなのだ。何をしたいかなどないのだ。人を騙して金を得られれば満足な人生なのだ。間抜けだなぁ。このような人物も見抜けずただ信頼することを是とした自分は間抜けだなぁ。と別に涙が出るわけでもなく冷めた感情が胸の中を支配していました。

「人は意思をなくす」というのは私の東京に来てからの一番の発見でした。もちろん私も明日早起きしようという意思は翌朝にはすっかり失われていることが往々にしてあるのですが、私が20才くらいの頃から持っている「若い世代や将来の子供達の幸せの総量を増やしていく」という意思は依然として私の中にあります。自分がしょぼすぎて全然叶えられてないですがなかなか色褪せません。逆に(若い世代の税金や借金の)医療費を使わせてもらっている分その思いは強くなっています。自分の寿命がまた1年近づいたのもあります。

私が2019年に出来たことと言えば、せいぜい放射線科専門医を取得したことと、いきなりステーキのプラチナカードを手に入れたことくらいですが
2020年は「福祉としての医療」と「産業としての医療」のそれぞれで一つの成功の雛形を示して若い世代に自分なりの答えを示したいなと思っています。

命をなくすかもしれないって時々意識すると人生が光のあるものにみえますが
意思もなくすかもしれないって時折思うと自分の気持ちを見つめ直すいい機会になると思います。
それとも皆さんそんなこととっくにわかってましたか?

2 thoughts on “いつ人は意思を失うのだろうか”

  1. 考えさせられました。最近、医師という仕事に向いてない気がして悩ましい日々を送っていたのですが、身が引き締まりました。来年度から放射線科レジデントです。意思をなくさないように頑張ります。

    1. 意思の表現方法は一つの職業に縛られないと思います。ぜひ肩の力を抜いてその意思を持ちながら人生を楽しんでください。

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