医学部は入学のためのその偏差値の高さから
それぞれの大学の偏差値を異様に気にする(また事実、所属組織として意識される場面が多々ある)風潮がありますが
「教育を受ける」学生としては何を意識するのがいいか私見をブログに書いてみたところ、大手言論プラットフォームのアゴラに掲載されました。
その後、問題提起をされた方ともコメントで議論を深めました。
それも合わせて見てみると現在の大学の在り方が見えてくるかもしれません。
_
卒試一週目4科目が終わりました。
あんまり心配はしてないですが、採点には是非とも点数に人間性を加点して頂きたいと思います。
俺は2点ぐらい減点されそうですが。。。
さて、先週の記事に再度、彩の国さんから多くのご質問、ご指摘を頂きました。
前半部分はコメント欄でお答えさせて頂きましたが、後半はテーマの重さに耐えきれませんでしたので
こちらで再度取り上げさせて頂こうと思います。かなり長くなると思いますのでお暇な方だけお付き合い下さい。
まずその後半のコメントから
テーマは「大学の教育の意義」になると思いますが、
ハッとさせられたのは彩の国さんの一言
(医学部に入学させたからには一人前の医師にさせる!)
ああ、そういうことかと気付かされました。
ここに私立と国立の2人の学生の感覚の違いが端的に表れていると思います。
まず「大学の教育の意義」を
「私立大学医学部と国立大学医学部の顧客の違い」
から議論を進めていこうと思います。
簡単のために
ここでの私立大学医学部は私立医科大学で例を彩の国さんの埼玉医科大学、
国立大学医学部は旧帝国大学で例を私が通う九州大学にしようと思います。
まず埼玉医科大学
顧客(の一部)が学生になっている可能性が高いです(埼玉医科大学の24年度収支決算書)。
医学生は1人当たり6年間で授業料を4350万円+αを支払うことになります。
その額を払ってまで私立大学医学部に入学するのは
・家庭内資金が潤沢で医師になりたいと思う方
・親が開業医で初期費用(開業費用)をかけずに家業を継げる方
・金銭的に無理をしてでも医師になりたいと思う方
なので恐らく学生の思いは「早く一人前の医者になりたい。(一部の方は学費以上に稼ぐようになりたい)」でしょう。
学生は顧客になるので大学はなんとしても学生の要望に応えなければなりません。
そうなると、国立大学医学部の学生も受けているビデオ講座(ここではtecom)の価格は
4年生5年生6年生の受講を合わせても10万円を超さないわけですから
彩の国さんがおっしゃるように、
国試用に学生にtecomを受けさせて、学年末試験や卒試だけを難しくするだけのような教育であれば
その残りの4340万円はどこにいったと訝しむのも当然ですし
更に、ストレート合格率も76%となると、それはもはや詐欺的と言っても言い過ぎではないように思います。
学生が
「医学部に入学させたからには一人前の医師にさせろ!」
と思うのも当然ですし、
大学は学生の要望する「一人前の(稼げる)医師」の養成のために
「勉強についていけない方への徹底したサポート」を加えた上での「国試合格」に加え、
「英会話」や「経営能力」など
いわゆる「デキる(稼げる)医師」の養成に注力するのが大学の仕事だと思います。
それをせずに「大学は自らが進んで学ぶ場だ」と発言するのは
「教育にあぐらをかいている」という以上に
「今の医学部制度(自由な医学部創設が制限されている制度、国民皆保険の現状の診療点数上、医師に一定以上の収入が保証されていること、それで放っておいても受験生達が集まって来ること)にあぐらをかいている」
のだと思いますし、恐らく同じことを続けていると、制度の変更に伴って志望学生の数が激減することぐらいは簡単に予見できます。
そのことからも、彩の国さんがおっしゃるように埼玉医科大学は「大学の教育の意義」を示せていないようです。
_
さてこれに対比されるのが国立大学です。
顧客は国だといっても差し支えがないと思います(収支決算は見当たりませんでしたごめんなさい)
1人当たり学生が払うお金は6年間で350万円程です。
私立大学に比して授業料は雀の涙です。残りは全て国が負担してくれています。
ここでは「医学部に入学させたからには一人前の医師にさせろ!」といおうものならお前何言っちゃってんのレベルです(そうだねウンウンと頷いてくれる仙人様のような教授もいらっしゃると思いますが)。
学生はお金を払ってないわけですから。
また九州大学に入学しているのは
・俺/私は名医になるんだ、名医になるには旧帝だ!
という人もいるとは思いますが
・とりあえず家から近いし、勉強出来たから
・とりあえず医者になりたいし、勉強出来たから
・とりあえず金ないけど医者になりたいし、勉強出来たから
・6年間の遊ぶ猶予もらえるし、勉強出来たから
が多くを占めると思います。偏差値高いところにいけばある程度尊敬されるし、医師の世界でも有利という理由もあろうかと思いますが、ようはそんなに
「一人前の医師にならねば」
と切羽詰まった事情を背負っている人は少ないと思います。
また
しかも国の要請も恐らく「一人前の医師を養成しろ」ではないと思います。
厚労省や文科省の方に聞いているわけではないですが、昨今に文科省が発表した10大学に100億円や、22大学への助成金差別分配などをみても
「論文の質・数(研究力)」を重視しているように思います。
「研究力」を言い換えると「新しい事を発見し、証明・実証できる力」だと思いますし
「研究」によって「社会(公益)へのインパクト」
を積み上げよという要請が聞こえてくるようです。
実際に医学部に限定しても
全国に医師免許を持つものが30万人近くいる(働いてない人含む)わけで
1人の医師として働くよりも
「薬・機器の開発」や「効率化システムの考案」などで
全国の医師の効率を1%ずつ向上させるだけで3000人分の医師としての仕事をしたことになります。
国にとってもそっちの方が良いという判断で研究助成金などを交付するわけです。(多くの大学の先輩方は医師として一人前以上に働きながら、研究でも成果を出すスーパーマン的な働きをしています。自分にはとても真似できません。)
もちろん、実際の多くの医学生にとってはそんなことはどうでもよく、
はやく医者になって健康で文化的な医者ライフを送りたいのが実情といったところなので
国立大学の学部の仕事は
「学生に新しい事を発見・研究することに興味を持たせて、そのための育成をする」
ことだと思います。
だから、あまり、いわゆる「デキる医師」を養成しようとはせずに(すぐ役に立つものはすぐに役に立たなくなるという考えの下、たぶん)
それよりかは、教養などの自分や社会を普遍的に見つめる力を幅広い視点で身につけさせることには熱心だったりします。
「実技能力」や「英会話」や「経営力」といったものより
もうすこし、自分やその周りを掘り下げて
「いかに新しい価値を見つけるか」、さらには「挑戦する力」「失敗から学び取る力」の基礎を優先しているように思います(優先というよりは、デキる医師の養成をしてないだけとも思いますが。。。)。
なので学生がこれをやりたいとか知りたいと言えば非常に協力的だったりします。
それは、(国からの要請というよりかは)ただ純粋に研究が好きで学生が興味を持つことに好意的な度量の深い方が多いからだとも思います。今まで色々遊びに行っては3桁を超える先生方(学外含む)にお世話になりました。
しかも、ご自身の研究でお忙しいのにも関わらず、長い時間熱心に色々な事を教えて頂きました。
1人だけ、私が作って持っていた企画書を学部の機材を使わせる代わりに自分の特許・実績にするよう書き変えを指示した挙げ句、口だけの無能っぷりで研究の進展を邪魔し、さらには私という学生に開発促進費や人脈などをせびる教員を名乗る下衆がいましたが、私は機材に関して他の学部の先生方に協力を仰げたからよかったですが、もし後輩達にも同じことをしたらその時には遠慮なく大学から退場して頂きたいと思っています(九大出身でも医学部出身でもなく、実績もなく大学5年の雇い止めを目前に焦っていたのは察しますが、それでもそういうのはよろしくないです)
逆に言えばこれだけ多くの先生方がいらっしゃる大学の中で99%以上の先生方には、とても好意的に迎えて頂いたことはかなり自分の中で印象に残っています。
これが九州大学が旧帝国大学たる所以だと思います。
なにかをしたいと思う者には門戸が開かれてるカンジ。
だから私は彩の国さんの
(医学部に入学させたからには一人前の医師にさせる!)
という一文を見た時に違和感を感じました。
国立大学からそんな一言が出ようはずがないからです。
勿論、どうせ聞かない授業で縛らないで欲しい(私は友人に何度もフォローしてもらったりしてますが)とか
もういっそのこと国試用にはtecomやmecに任せて,卒試も国試に準じた形にして
授業では各医局の面白い話でいいんじゃないかとか思ったりしますが
基本的には大学の教育に満足していますし、感謝しています。
なにより大学生活は楽しかったです。
これからどんな制度に変わろうと九大には多くの受験生が集まるだけの「大学の教育の意義」は果たしていると思います。
_
フツーは自分の大学を卑下して、質問者の大学を立てるものだとはおもいますが、
すみません、こんな結論になっちゃいました笑
彩の国さんの参考になれば幸いです。
それでは、また。
_
コメントより
なるほどなるほど。一、国立大生のご意見が聞けて大変に参考になります。考え方・意識が全然違いますね。以下言わずもがな私見です。
やはり一、私立医大生としては、私見ですが、「金が相当かかってるのに、何?この教育の低さ」に集約されていると思います。しかしこれは何も、話がまた広くなってしまいますが、今始まったことではなく、「お塾に行かねば、偏差値の高い学校にいけない日本の教育」が原点にはなります。
国公立のように学費が安ければ、それはそれでしょうがないと甘んじられる(ホントは甘んじてはいけない)のでしょう。安物にはあまり期待しない感覚。
つまり、仮に教育の質が低かったとしても、「ま、いっか、学費安いし、自分で勉強するし、進級緩いし、卒業まず出来ちゃうし」で済むかもしれません。
ところが、私立の「多大な学費」から考えると、とてもこんなことを言うことは出来ません。私立医大生が顧客になっているというのは正にその通りです。医学部の学費を看護学部に回していたりします。「とりあえず入りたくてお金あれば来れば~?でも付いていけなかったらサヨウナラだから」なスタンスですね。
ところで、「大学教育の意義」ですが、確かに、「医学部に入学したからには一人前の医師にさせる」もそうですが、「国公私立問わず、医師国家試験予備校に最終的には頼る?国家試験とは何事だ」というのもあります。
個人的には、国家試験勉強の方が医学部受験より遥かに(体感的には何百倍も)大変に感じてましたので(今は医学が分かってきて好きなことなので大嫌いだった大学受験勉強よりも気持ちは楽です)、こんなに医学部で大変なら大学受験もっと真面目にやっておけば良かったという後悔ばかりでしたが、そう言ったところでどうしようもないので、今は受け入れました(苦笑)。
こちらのストレート合格率は低いのか高いのか普通なのかどうなのか想像出来ませんが、世間一般は誤解するであろう、「100%」なんてものは、「留年や退学などで学生を切りまくり」すれば、どこの医大でも成し遂げられることと思います。因みに99%だった年は、一人国家試験ボイコットしちゃったんですよ。受けてれば2年続いて100%だったかもしれません。
数年前に悪い年もありましたが、アレは単に大学が「切る線を間違った」ようです(苦笑)。しかしその年の現役不合格者は翌年全員合格しましたので、厳しく育てられていた(恐怖教育)ため、浪人でもダレずに頑張ったようです。国公私立問わず一度浪人してダレるとダメですね。稀でしょうが某国公立卒でも数年~10年程度浪人されている方が何人か知人でいます。
実際にブログ主さんも、ご自身の大学のストレート合格率を調べられてみるのも面白いかもしれませんね。ホントのホントのところはどうなのでしょうか。ホントのところで皆が興味があるのはここでしょうから。
他大学も含め各医大(特に私立医大)がこのような公表になれば各医大では、「ただ切って合格率を上げようとするだけの学生負担な偽りの教育?でなく、真に一人前の医師(医学・人間性を兼ね備えた)にさせる教育」になるかもしれません。そうあって欲しいものです。
彩の国 on said: [Edit]
そういえば、確かに「日本は研究重視な論文重視」であって、「論文書かないと出世出来ない」とはよく聞きますよね。また特に国公立でも「旧帝大系は研究志向」とはよく聞きます。国公立は研究機関、私立は臨床というイメージはあります。
しかし、厚労省は「人間全体を診れるような総合医的なドクター育成」のために大多数の研修医を初期研修での2年をスーパーローテートにしました(厳密には他の選択肢も出来ましたが)。つまりまず臨床医が求められ必要な訳で学者が必要な訳ではない。その後は区々ですが。
確かに基礎医学・臨床医学・その他色々方面とあるように、医師の方向性は色々あるとは思います。また何だかんだで「博士号」や「専門医」やらやら取っておかないと出世できない日本医学界の風潮ですね。
厚労省のいう「総合医」とやらをしっかりやっていても、確かに内科的な力は相当につくのでしょうが、自身のキャリアについて客観的に相対的にどのポジションになっているのかを見ると、アレレ??となってしまう訳です。しかし、目の前で倒れている人を見て見ぬ振りをするドクターがいるのは何故でしょうか。
理由は、「オフで面倒に巻き込まれたくない」、「何か手を出したは良いものも万が一何かあったら医師という肩書がある以上責任問題になる」、「総合医的な力がなく自信がない(臨床医とかけ離れている)」、、、等など様々でしょうが。しかし、一般の方からすると医学のエキスパートが何故!!となってしまう訳です。
また、「人類愛に燃え、患者さんが全て、患者さんが喜んでくれる姿が私の全ての喜びです」というスタンスであれば、給料安かろうがこき使われようが、極論で奴隷であってもどうでも良い訳です(苦笑)。この点に関しては価値観様々にはなるのでしょう。
こういった問題の原点は、日本の政治がガタガタしているだけに、医師も医学生も振り回されているのではないでしょうか。学生の身近なところで法改正による公衆衛生の面倒さ(苦笑)。
最後になりますが、ブログ主さんの、「基本的には大学の教育に満足していますし、感謝しています。なにより大学生活は楽しかったです」が言えるのは、やはり一、私立医大生見地からすると、「学費が安いからそれは言える」であろうことであって、学費が莫大な一、私立医大生からすると、「とても受け入れられない」とは思います(苦笑)。
ブログ主さんの「もういっそのこと国試用にはtecomやmecに任せて,卒試も国試に準じた形にして、授業では各医局の面白い話でいいんじゃないかとか思ったりしますが」なんて、莫大な学費を使っての私立医大の教育がコレか、、、になると、何とも詐欺教育なお話です(苦笑)。
1~5年次の学内試験は「自助努力がなくては合格出来ません(講義だけでは国家試験も見据えると到底不可能)」し、卒業試験の実態は正に、「大学講義は体系的には医師国家試験予備校に劣るものであって枝葉的な知識」です(苦笑)。こういう内輪なお話を知らずにただ表面的に国家試験合格率が100%だ~、合格率高いのが結構続いてる~、教育良いんじゃ??と錯覚してしまう訳です。
また更に悪いことに、学外向けの広報誌や募集案内のパンフレットには「良いこと」しか出てこない。都合の悪いことは全て隠しているし、またそのような記事を書くドクターや学生は良いことしか書かないし、ある意味反体制派の意見を持つ者に記事など書かせる訳がない。つまり本心で書いていないのです。余計に余計に学外の方は良いように誤解してしまうでしょうね。まずは、私立医大では「一人前の医師にさせる」のが第一義であろうと感じます。
彩の国さん
前回の記事に加え多くの投稿ありがとうございます。
私のブログ以上の分量で完全に私のキャパを超えましたので大事そうな「ストレート合格率」と最後の方だけ返信させてください。
九州大学のストレート合格率は概算になりますが、ゴールド世代と言われるほど上出来と言われた一つ上の学年は留年生は5名程(国試浪人が4名で合わせて9名程)ですのでおよそ91%、最多の留年生を輩出している奇跡の学年とも言われる私の学年で18名(国試に落ちるのは人数は分かりませんが例年の1割と考えるとストレートの人が国試浪人するのは8名ぐらい)で75%ぐらいだと思います。なので大体75~91%を推移していると思います。
学外向けに自分達のことを悪く言う広報者はただの鬱だと思います笑。就活でも恋愛でもそうだと思いますが、あんまり自分のことを悪く言ってうまくいくことはなさそうです。そういうのは第3者機関にしっかりしてもらいたいですね
ちょっと観念奔逸的にお話が飛び飛びで広くなり過ぎましたね(苦笑)。
私の人生観では、「良いことばかり」には必ず「裏がある」です(笑)。良いことばかりだけ美辞麗句を並べている人間ほど信用できません(苦笑)。長所・短所がしっかり書かれてあったり、そう客観的に自己分析出来る方が良いですね。
私見ですが、「鬱ではなく、皆さん公に事実を知る必要がある」ということだと思います。日本は原発問題然り、「隠蔽体質」なので(苦笑)。勿論自分を卑下してばかりだったり、悪いことばかりでは聞く方も嫌になってしまいますよね。それは仰る通りだと思います。
また、「本当に鬱」の方は、そのようなことを言うエネルギーもないようです(実際の患者さんを通しての経験上かつ国家試験的?!)。たぶんブログ主さんは軽く鬱という表現をされたと思いますが。
ある合格率の良い医大では、建設的に考えますと、学生を厳しく育てることにより、「自分に厳しく、他者に優しく」、医療に当てはめると「医学は厳しく、医療は優しく」といった精神を学生のうちから身につかせたいのではないでしょうか、、、ということで今までの返信をまとめさせて頂きます。
彩の国さん
綺麗にまとめて頂いてありがとうございます笑
彩の国さんのように、内部から声を上げて下さる方は貴重な存在だと思いますし、事実を知ることは議論の余地が生まれたり、改善の手掛かりになるのでとても大事なことですよね。今回は色々とご指摘ありがとうございました。とても考えさせられました。
「医学は厳しく、医療は優しく」は良い言葉ですね。是非また気付いた事ありましたら遠慮なくご指摘下さい。今後ともよろしく御願いいたします。
彩の国 on said: [Edit]
アゴラ、、、初耳で全く存じておりませんでしたが、おめでとうございます。本来ならば匿名でなくお話申し上げたいところですが、色々考えるとネット上だとなかなか難しいですね。
>ここでは「医学部に入学させたからには一人前の医師にさせろ!」といおうものならお前何言っちゃってんのレベルです
読み直してちょっと気になったのでコメント致します。
国立は国が顧客というのも的を得ている表現かと思いますが、もし九大さんの大学教官が、「お前何言っちゃってんの」発言をしようものなら、日本国民なめてると思います(苦笑)。
確かに私立の医学部では医学生の教育資金は学生の父兄頼りですので、「教育の質とは?」と常に考えてしまいます(中には外を知らずに知らぬが仏で無知な者や現状満足している者もいますが)。
しかし、国立学生は日本国民の税金で「やらしてもらっている」のだから、1人前のしっかりとした医師(研究分野でも臨床分野でも医師となる過程での教育の成果を日本社会に還元出来るなら何でも良いです)になってもらわないと、「税金の無駄使い」です。天誅ものですよ(笑)。
間違っても、特に税金でやらしてもらった国公立医大卒で、「何科が儲かるか?」な~んて邪な考えをするのは宜しくありません(苦笑)。そのような医師が増え始めたら、日本の医療は成り立たなくなってしまうと思います。
教育に関しては、文部省からは「実習増やせ!」、厚労省からは「国家試験の合格率悪ければ何事だ!」らしいです(苦笑)。しかし、今の国家試験て、直近の107回にしろ106回にしろ、実習に時間をかけるよも座学をよりやってる方が点は取れますね(勿論、実習も大切なことは言うまでもないですが)。
厚労省と文部省の言い分に矛盾を感じつつも一理あり、「実習の中で点も取れる質の高い良い教育」をすれば良いのです。具体的にはクルズスの質を上げるとかですね。
しかし、塾講師や家庭教師をやっていた経緯があり感じるのは、そもそも医学部だけでなく、「日本の教育の質全体が低い」のです。つまり、「何故、塾や家庭教師の存在が必要なのか?」、「学校教育のみでやれないこと自体がオカシイ」のです。お塾や家庭教師に頼らなければ何故大多数が偏差値が高いと言われるような学校に進学できないのでしょうか。医学部に限局するなら、「何故、基礎学力が高い?と思われている国公立もが医師国家試験予備校に頼る」のでしょうか。自前の教育でやりきれないこと自体が教育の質の低さを表しています。
また、ブログ主さんのご発言の中で、「九大では卒業試験で医学部内偏差値を下げてる」と以前書かれてあったと記憶していますが、「質の高い医学教育」をしていれば、そのようなことはなく、「国家試験なんて通って当然」になるのでしょう(厚労省は相対的に切ってますので何とも言えない部分はありますが)。
と、、、また長文・駄文になってきまして、再びブログ主さまのキャパ超えされてしまうと申し訳ございませんのでこの辺で失礼致します。
masakazuon said: [Edit]
彩の国さん
すみません、彩の国さんに予め了承を得なければなりませんでしたが突然のことでかつ匿名ということもありましたので今回はお許し下さい。その代わり、今回は御察しの通りすでにキャパ越えしてますが(笑)お返事に頑張りたいと思います。
>もし九大さんの大学教官が、「お前何言っちゃってんの」発言をしようものなら、日本国民なめてると思います(苦笑)
A.実際に九大の教官がそういう発言はしないですが、そう思われても仕方ないなということです。
>国立学生は日本国民の税金で「やらしてもらっている」のだから、1人前のしっかりとした医師(研究分野でも臨床分野でも医師となる過程での教育の成果を日本社会に還元出来るなら何でも良いです)になってもらわないと、「税金の無駄使い」です。
A.少し窮屈かなという気がします。少なくとも国立大学生は「やらしてもらえる」権利を受験という戦いで勝ち取ったわけですので、それをいかにするかは個人の自由になると思います。例えば私自身、塾や予備校は基本的には無料で通いましたがそれは単純に予備校が良い宣伝材料の卵だなと思ったために勝手に投資して頂いただけで、必ず東大や医学部に行く必要はなく私の行きたい所に行けばよいのと同じ理屈です。もしその権利に義務が加わるのは防衛医科大学のようなものですし、そうなると、国公立の偏差値もガクンと下がり、良い研究者の卵がこなくなるので大学側にもメリットは少ないようです。おそらく彩の国さんは激励の意味だったと思いますが一応お答えさせて頂きました。
>間違っても、特に税金でやらしてもらった国公立医大卒で、「何科が儲かるか?」な~んて邪な考えをするのは宜しくありません(苦笑)。そのような医師が増え始めたら、日本の医療は成り立たなくなってしまうと思います。
A.私はいつもお金のことばかり考えています、すみません笑 何をするにもお金はかかりますし、良い物を求めようとすればなおさらです。またそれとは別に、少なくとも個人の幸福の追求が社会システムの破綻に繋がるのであればそれは社会システムの構築の仕方がまずいのだと思います。他人の為に自己犠牲させるのも、自己犠牲で他人を幸せに出来ると思うのも、ただの傲慢だと思います。
>厚労省と文部省の言い分に矛盾を感じつつも一理あり、「実習の中で点も取れる質の高い良い教育」をすれば良いのです。具体的にはクルズスの質を上げるとかですね
A.理想はそうですが、忙しく、また教育のプロでもない医師達にそれを求めるのはドS過ぎます。
>「何故、塾や家庭教師の存在が必要なのか?」
A.単純に文科省が提示するこれを学ばせなさいという範囲が存在するからだと思います。そこではいかにして幅広い知識を吸収させるかが問題になります。私も彩の国さんのようにアルバイトではなくプロとして予備校講師をして歴代最高の受講者数を入れた時がありましたが(その逆もありましたが笑)、それでも代ゼミのTOP講師達には遠く及ばない内容だと思いますし、ましてそれをコンスタントに提供するあの方達は本当に凄いと思いますし、多分一生かけても叶わないと思います。生徒の視点から言えば、効率よく教えてもらう人を、その幅をあるにせよ、求めるのが普通だと思いますし、需要がある以上、塾や家庭教師は存在し続けます。もし「新しい発想を生み出すこと」が最重要と文科省が提示すればこの状況はまた変わると思いますが、そんなことにはすぐにはならないと思います(大学入試で人間性をみるとなりましたが、本当に面白い視点で入試ができるかは甚だ疑問ですし、それが良い事かどうかもよくわかりません)
>医学部に限局するなら、「何故、基礎学力が高い?と思われている国公立もが医師国家試験予備校に頼る」のでしょうか。自前の教育でやりきれないこと自体が教育の質の低さを表しています。
A.これは記事でも若干言及していますが、国立は教育自体が医師国家試験の方向を向いてないからです。それよりも研究などの方向に向いていると思います。また前述の通り範囲が決まっている勉強ならプロの予備校講師の方にお願いするのが効率的だと思います。大学「教員」という肩書きですが、実際は「教育のプロ」ではなく「研究するプロ」であることのほうが大学から求められるところです。
>「九大では卒業試験で医学部内偏差値を下げてる」と以前書かれてあったと記憶していますが、「質の高い医学教育」をしていれば、そのようなことはなく、「国家試験なんて通って当然」になるのでしょう.
A.やはり質の違いだと思います。勿論、研究にも国家試験にも通る教育があればそれは質の高い教育ともいえるかもしれませんが、いまの医師国家試験の出題からいえば、そのような教育が存在するというのは、研究も受験勉強もしたことのない人間の戯言に過ぎないと思います。
彩の国 on said: [Edit]
ブログ主さんの意向が非常によく伝わるレスポンスをありがとうございます。このようなざっくばらんに話せて真実味が表だけでなく裏もあるブログだからこそ、「アゴラに載った」とも思います。当たり障りのないことだけ書いても読者にはつまらなく感じるでしょうから。
またお互いに多忙な時期ですので、どうかお時間のある時にお返事などして下さるか、スルーでも結構ですよ。
ところで、この一箇所だけはたぶん表面上だけとってしまうと、一般的な日本国民は受け入れがたい思考であろうと思ったので指摘させて下さい。
>少なくとも国立大学生は「やらしてもらえる」権利を受験という戦いで勝ち取ったわけですので、それをいかにするかは個人の自由になると思います。
やらせて貰える権利は取ったからといって、じゃぁ、「俺好き勝手に自由にやらせてもらうぜ~、へっへっへ~」なスタンスだと、、、「何様のつもりだ」で傲慢に取られてしまうと思います。政治と一緒です。そんなことを政治でしたら支持落ちて失脚しますよね。。
権利があるからと言ってその権利を振りかざしたり、その権利の行使が自由だというのは傲慢の何物でもなくお子様と思います。とはいえ、そう考えてしまう傾向にあるのが人間だとは思いますが。
しかし、自由は良い意味での自由ですよね?拘束されるのではなく、社会にも還元でき、ひいては自己にも価値ある生き生きとした人生を送るための自由を手に入れたという高尚な意味であろうと推察致します。
ここからは軽くレスしてみます。
>理想はそうですが、忙しく、また教育のプロでもない医師達にそれを求めるのはドS過ぎます。
確かに理想論かもしれませんが、やろうと思えばやれると思います。答えは単純。「医者に休養と給料をしっかりやれば良い」だけです。
実際に、「学生の教育をしていても自分の研究が出来なくなる」や「熱心に教えても給料は上がらない」という教官の不平不満は聞きます。
こういうことを発言する・考えてる教官がいる自体、「教師の風上にも置けない」のですが(苦笑)。そういうなら大学の教官にならなければ良いのです。または改善するように働きかければ良いと思います。
勿論、中には教育熱心な先生もいることは事実ですが、果たしてどれだけいることか。今思いつくだけでせいぜい両手で数えられるくらいしかいません。私がプロで講師などをやっていた経緯があるため「辛口」かもしれませんが。
ですから、単に教育問題だけではなく、雇用システムの問題にもなってきてしまうなと感じます。
>範囲が決まっている勉強ならプロの予備校講師の方にお願いするのが効率的だと思います。
正に同感です。御存じと思いますが、テコムの三苫先生は東京医科大学引っ張って教授にしていますからね。また国立が研究向き、私立は臨床向きという傾向は感じます。
中には予備校嫌いな先生もいますが、今の国家試験がそのようであるのなら認めませんかとも思います。低学年のうちから、臨床が始まる3年生あたりから幹は予備校講師の講義でもお願いしながら、そして大学らしいその道の専門医のプロの講義を枝葉で良いんじゃないかなとも思ってしまいます。
国家試験の合格率が良いと素晴らしい講義と思われてしまうのかもしれませんが、S医科の実際は、幹は例えば「STEP」や「病態生理できった」等を低学年次からで身につけておいて、枝葉として「TECOM」や「MEC」などでフォローしている感想です。
では大学の講義は?というと、残念ながら、枝葉的なものであり、卒試にどうしても先生の好き嫌いが出てしまい、国試とは違う大学の傾向が出てしまうのでやるかなといったところです。1番の理由は出席義務があるから仕方なく、、、というのが1番かもしれません。。あくまでも試験勉強だけでいうならば自分だけで独学でやった方が効率が良い。。
>単純に文科省が提示するこれを学ばせなさいという範囲が存在するからだと思います
そうですね。確かに大学受験レベルの範囲なんて、医師国家試験の範囲から比べればてんで話にならないくらい範囲が狭く楽に感じます。そのため、「暗記教育」で乗り切らせてしまう教育が往々にしてあると思います。
医学部志望の高校生(中には御三家といわれる生徒もいました)や浪人生達には「暗記でなく自分の頭で考え、つなげる勉強」を教えてきましたが、なかなかこの小学校時代からの暗記勉強から抜け出せずにいる子達が多いという印象です。
そのような暗記だけの教育ですと、「自らの頭で考える」人材の育成にならないのです。確かに平均的な頭脳で良いのであれば、そのような教育で底上げが出来てしまうのでしょうが、ホントに頭の良い人間の育成にはその暗記教育は向いてません。日本の急速な戦後復興のための教育だったとは推察していますが。
医師国家試験もある程度病態生理やら疾患概念が理論立てて分かってくると、あとは単に詰め込み作業だけだなとは感じております。その点、最近の国試の症例問題では暗記よりもちゃんと自分の頭で考えて筋道たて、そして治療というように、知識がそこまでなくとも、考えれば何とか答えが出る問題にシフトしてきたような気はします。
>社会システムの構築の仕方がまずいのだと思います。
そうですね。日本やアメリカは資本主義社会ですからね。どうしてもお金のある人が強いイメージですね。以前、朝日新聞だったか何かで、「結局のところ、金持ちがエリートになるだけの教育を受けれら不平等である」なんて記事がありましたが、残念ではありますが、日本の社会システムでは致し方ないことなのかなとも思われてしまいました。
一方でドイツは皆平等で高い税金は払いますが、その代わり教育・医療・福祉が行き届いています。例えば教育も医療もほぼ無料です。塾なんてものは存在せず学校だけの教育で医学部にしろちゃんと進学出来るシステムになっています。色々な国の医学部交換留学生が往来しますのでそのようなお話を時にしたりします。
色々とご指摘ありがとうございました。
彩の国さんには情報を提供して下さった感謝の気持ちと、了承を得ずに言論プラットフォームに載せてしまった申し訳ない気持ちがありますので、頑張ります笑。
>やらせて貰える権利は取ったからといって、じゃぁ、「俺好き勝手に自由にやらせてもらうぜ~、へっへっへ~」なスタンスだと、、、「何様のつもりだ」で傲慢に取られてしまうと思います。政治と一緒です。そんなことを政治でしたら支持落ちて失脚しますよね。。
A.政治家は「国民のために働く」と約束して立候補するのに対し、公立の医大生は「学力ラインは超えてるよ」と受験するので、両者は違います。もちろん防衛医科大学や国立の地域枠は前者になりますが。
>権利があるからと言ってその権利を振りかざしたり、その権利の行使が自由だというのは傲慢の何物でもなくお子様と思います。とはいえ、そう考えてしまう傾向にあるのが人間だとは思いますが。
A.医大生の権利は「医学教育の講義や実習を受けることができる権利」と「医師国家試験を受けることが出来る権利」だけなので振りかざすような大層なものではないです。政治家のような多くの人の生活を制限する制度作りの権利に比べれば、あまりにも慎ましやかな権利です。
>しかし、自由は良い意味での自由ですよね?拘束されるのではなく、社会にも還元でき、ひいては自己にも価値ある生き生きとした人生を送るための自由を手に入れたという高尚な意味であろうと推察致します。
A.高尚すぎて、圧迫死しそうです。確かに「生きる」という行為には社会になんらかの価値を提供することが必要とされるので本当の意味では自由とは言えないかもしれませんが、そんなことを意識していると、生きるのも窮屈になりますし、本当に社会が良くなるような価値ある物は作れないと思います。個人的には「楽しく生きる」というだけでも周りを幸せに出来る一つの方法かなと思います。s
>「医者に休養と給料をしっかりやれば良い」
A.その通りだと思います。さらにご指摘の通り、日本の雇用や経営システム上、それを可能にするだけの、医者の生産性を上げることが徹底できていないようです。それはこれからの医療界の課題の中心になると思います。それとは別ですが、逆に「医者の給料をガクンと下げて研究者の給料をバカンと上げる」と金の卵の学生に対してもの凄く熱心に教育して下さるかもしれませんね笑
>御存じと思いますが、テコムの三苫先生は東京医科大学引っ張って教授にしていますからね。また国立が研究向き、私立は臨床向きという傾向は感じます。中には予備校嫌いな先生もいますが、今の国家試験がそのようであるのなら認めませんかとも思います。低学年のうちから、臨床が始まる3年生あたりから幹は予備校講師の講義でもお願いしながら、そして大学らしいその道の専門医のプロの講義を枝葉で良いんじゃないかなとも思ってしまいます。国家試験の合格率が良いと素晴らしい講義と思われてしまうのかもしれませんが、S医科の実際は、幹は例えば「STEP」や「病態生理できった」等を低学年次からで身につけておいて、枝葉として「TECOM」や「MEC」などでフォローしている感想です。では大学の講義は?というと、残念ながら、枝葉的なものであり、卒試にどうしても先生の好き嫌いが出てしまい、国試とは違う大学の傾向が出てしまうのでやるかなといったところです。1番の理由は出席義務があるから仕方なく、、、というのが1番かもしれません。。あくまでも試験勉強だけでいうならば自分だけで独学でやった方が効率が良い。。
A.三苫先生の話が絡むと同じブログ村の大ふへん者さんに何言われるかわからないのでこれはスルーさせて頂きます。
>確かに大学受験レベルの範囲なんて、医師国家試験の範囲から比べればてんで話にならないくらい範囲が狭く楽に感じます。そのため、「暗記教育」で乗り切らせてしまう教育が往々にしてあると思います。医学部志望の高校生(中には御三家といわれる生徒もいました)や浪人生達には「暗記でなく自分の頭で考え、つなげる勉強」を教えてきましたが、なかなかこの小学校時代からの暗記勉強から抜け出せずにいる子達が多いという印象です。そのような暗記だけの教育ですと、「自らの頭で考える」人材の育成にならないのです。
A.大学受験の範囲は私立で英数+理2科目で問題の難易度も高くない(慶応は別格ですが)ので範囲は、確かに医師国家試験よりかはずっと小さいですし簡単だと思います。ただ公立ではたとえば前半戦のセンター試験だけでも英数国社+理科3科目+リスニングがあったりで範囲は膨大で、かつその中で高得点を取ることが求められます。私はセンター試験で95%は取りましたが周りもそんな感じです。そんな過去のことにしがみついてもしょうがないですが、それだけの点数を取るには、覚えるだけではまず無理なので、少なくとも自分の頭で考える訓練になったとは思います。ただそれでも東大の問題を理3レベルの人達ぐらいに解けるかと言われたら全然無理だったので、あれはよかったと言い切ることはできません。それは理3の人にお任せますし、しないと理3の友人に鼻で笑われます。別に私学の方を貶めているわけではなく、お金があれば受験勉強せずに私立医学部に入って自分の好きな事をする方がよっぽど人生を充実させることができるとは思っています。誤解がないように最後の一文を付け加えさせて頂きました。
>確かに平均的な頭脳で良いのであれば、そのような教育で底上げが出来てしまうのでしょうが、ホントに頭の良い人間の育成にはその暗記教育は向いてません。
A.「ホントに頭の良い人間」がどういう人を指すかはなんとなくわかりますが、自分のことを「ホントに頭の良い人間」と言っている人はたいがいコンプレックスを抱きながら少し他人より声高に喋っているだけで他人の善意や意図に気付くだけの感性を持っていないことが多く、他人を不幸にしていることに気付かない人が多いですし、そういう人を周囲の人達のために支えようしても、何も気付かずただつけあがらせて、益々周囲の人を不幸にすることが多いので、そういう人には厳しく大学受験勉強させて、自分の無能ぶりを自覚させるほうが良いと思うようになりました笑
そして確かに受験勉強は個人の能力を上げることにはそこまで寄与しない(個人の基礎学力を上げることには寄与はしますが)ですが、いわゆる「自分で考える力」は自分でリスクを取りながら挑戦することでしか身に付かないと思うので、制度的な教育ではちょっと無理かなという気がします。
>日本やアメリカは資本主義社会ですからね。どうしてもお金のある人が強いイメージですね。以前、朝日新聞だったか何かで、「結局のところ、金持ちがエリートになるだけの教育を受けれら不平等である」なんて記事がありましたが、残念ではありますが、日本の社会システムでは致し方ないことなのかなとも思われてしまいました。
A.よくアメリカと並んで日本も資本主義と言われますが、日本の資本主義は子供達にとっても(もちろん悪い点も多いですが)良い点の方が多いかなという気がします。貧乏な子でもまず安全が一定のレベルで保証されていますし、成績が優秀でありさえすればお金を投資してもらう形で学ぶ機会を資本主義によって提供してもらえます。文化的な教養に関してはどうしても家柄や家庭経済が反映することが多いですが。
>一方でドイツは皆平等で高い税金は払いますが、その代わり教育・医療・福祉が行き届いています。例えば教育も医療もほぼ無料です。塾なんてものは存在せず学校だけの教育で医学部にしろちゃんと進学出来るシステムになっています。色々な国の医学部交換留学生が往来しますのでそのようなお話を時にしたりします。
ドイツに関してはよくわかりません。ごめんなさい。高い税金という制度が平等を意味するのかは甚だ疑問ですし、学校だけの教育で医学部に進学出来るというのは単純に競争が存在しないことを意味している気がしますので、これはよく調べてからお返事します(多分国家試験が終わったころ笑)
>>社会システムの構築の仕方がまずいのだと思います。
前回の私のコメントからの引用ですがこれは「少なくとも個人の幸福の追求が社会システムの破綻に繋がるのであれば」という前提つきです。いまの医療システムのままだったらそのうち崩壊するんじゃないかなって思っているということです。
彩の国 on said: [Edit]
その後雑談風な長文駄文をコメントしてしまっていて申し訳ないなぁという気持ちがございましたが、まさかとは思いましたが、早速のレスポンスをありがとうございます(笑)。
一見すると重そうであろうお話をブログ主さんの立場で色々とお話して頂きありがとうございます。打てば響くではないですが、率直にお話しあえて楽しいですね(笑)。オブラートに包み過ぎてのお話ほど退屈なものはない(笑)。
しかし、お互いに現在非常に多忙な時期でしょうから、この辺でここらのトピックの対話はやめておいた方が、「お互いのため」に良さそうな気がします(笑)。また諸処の内容によっては平行線になりつつありそうな気配を感じました。終わりが見えなさそうです(笑)。
たまたま目についた記事から色々と多方面に渡ってお話を派生させてしまいましたが、ブログ主さんの立場での率直なご発言に感謝しています。色々な問題提起の種をバラ撒き散らしたような気が致します(笑)。
お互いに医学生ということで、ある面では同じような思考傾向で、またある面では違うという考え方の双方向性の対話はとても有意義であったのではなかろうかと存じます。今までのこのような対話をコメントしていない方も読んで下さり、またそれらをどのようにその方々が感じ判断するのかに期待したくも思います。
アゴラのあの記事は、最難関と言われる医学部の、それも国公立と私立の対比、世間の関心は少なからずあると思います。私見ながら(今までのコメントも何も全てですが)、一私立医大生の観点から、ブログ主さまを通して、外部の方々へ少なからず情報発信出来たことは嬉しく存じます。それなりの真実味のある情報の元で、外部の方々が色々と考え判断する良い一材料になったかと思います。
masakazu
彩の国さん、一歩引いてまとめて頂いてありがとうございます。
了承を得ないままに言論プラットフォームに載せてしまったことをどこか心の中で引きずっていましたので、できるだけ丁寧にお返しできるよう頑張ったつもりです。お返事を楽しんで頂けてよかったです。
最後はマスオさん風にまとめさせて頂いて、今回はこれにてお開きにしたいと思います。
では
「ええっ!!??勝手にアゴラに載せたこと、実は喜んでいたのかいっ!!??」